| 080212 橋下「知事」とNHK 新しく大阪府に就任した橋下知事が、NHKにはもう出演しないと言ったことが話題になった。公務で遅くなった、しかもそのことは伝えてあったにもかかわらず、女性司会者が30分遅れて到着したとアナウンスしたのは失礼だ、というのが主な理由のようだ。黙っていてもお金が入る組織はそんなものかと言っていた。権力的に自分を呼びつけたと取ったようである。小生は、その間の事情も知らないし、当該番組も見たわけではない。結果しか知らないが、その結果について数チャンネルのテレビを観たら、知事は大人げないという意見とNHKを批判する意見があった。 実際の様子を見ないとどちらの肩を持ったらいいかわからない。知事は、NHKは役所的で、民放ならあんな事はしないといったニュアンスのことを言っていたが、それは一方的な見方と思った。NHKだから、民放だから、でなく対応した人達の個性の問題と思う。小生の数少ない経験であるが、NHKに出た時は親切であったし、制作担当者から電話で質問があった時なども、すごく低姿勢であった。 一方、民放に出た時は、ろくに挨拶もなく、ギャラもなかった。別にギャラが欲しいのでなく、態度や言葉でもいいから、儀礼として何らかのお礼の態度があってしかるべきであったが、勝手に来て、勝手に帰れという態度で、お茶も出なかった。はっきり言って今回の橋下知事と同じような心境になった。民放だから人情の機微を心得ていると思うのは間違いという例である。相手の態度が自分のセンスと合致しないと、確かに腹立たしくなる。 一方でつぎのような例もあった。さる雑誌社が電話で質問してきた時に、直接伺わずに電話で済ますのは非礼であるがと詫びてから、質問に入った。約30分の遣り取りをしたが、貴重な時間を取らせたからと、後刻その時間分のお礼が送られてきた。礼儀ある対応が嬉しかった。 人にものを頼む時の挨拶は案外難しい。どちらが正しいというのでなく、両者のシチュエーションに微妙に差がある場合があり、とくに頼まれた方に、相手がちょっと見過ごしてしまうような事情を抱えている場合は、ごたつく可能性がある。例えばある委員会に出席を頼まれた時、個人としてか組織としてかの判断が必要な時がある。例え職階は低くても上位の組織を代表している場合、招いた側が下座に席を設けると、招かれた方が悩むことになり、両者間に気まずい空気が流れる。 NHKが全国的組織から来る横暴さを見せる典型が、大晦日の紅白歌合戦である。紅白を無視する大物歌手もいるが、尻尾を振るようにギャラ無視で出場を熱望する歌手が多いと聞く。NHKの威力を、外部が認めている例である。そのようなことが知らず知らずの中に、NHKの体質を熟成して来た。われわれの方にも責任の一端がある。 今度の件において、NHK側に同級生がいて、馴れ馴れしく声を掛けたのはよくないとの意見があった。小生ならそんなことでは目くじらは立てない。知事の立場を損なったわけではない。国会議員が先生と呼ばれないと機嫌が悪くなる、といったレベルの話である。とはいっても、学生から「さん」付けで呼ばれるのは面白くない。同じレベルの間柄ではないからである。選挙で選ばれた議員や知事を、われわれは一段上の偉い人と見ていないか。われわれが選んだのに。いつの間にか本人達もそう思っているようである。↑ページトップ 080209 法治国家 最近、わが国は法治国家であるという印象を強くした裁判判決があった。1月8日に福岡地裁が出した「福岡海の中道大橋飲酒運転事故」に対する判決である。三人が死んだのに懲役7年6ヶ月の判決はあまりにも軽い、危険運転致死傷罪法は何の為にあるのかということがどのマスコミが一斉に報じた。 この判決の正当の評価を小生は出来ない。感情的には軽い判決であるし、自分が親だったら敵討ちをしたくなるのではないかと思う。しかし、わが国の裁判制度に基づき、弁護士はルールの許す限り刑を軽くしようとするだろうし、検事はほぼ国民の感情と同じような主張するし、裁判官は法的中立性に基づき法律の解釈を厳密に解釈しようと試み判決する。その結果が多くの国民の感情を逆撫でするものであっても、法律遵守の立場からはそれ以上は国民は如何ともしがたい。できることは控訴すべきだという意見を強くするか(そうなったが)、法律をさらに飲酒運転に厳しくするような改正するように国会に働きかけるかである。 一旦できている法律は守るという立場は全国的に行き渡っている。法律より国民あるいは独裁者の感情が先行するようなケースは、多くの国で見られるが、わが国は古くから法律を守るという習慣はあるようである。福岡の事件の地裁裁判結果は何となく赤穂浪士事件の採決とよく似ている。世論は圧倒的に浪士を支持したが、荻生狙徠の「国法は曲げられない」の意見が通り、四十七士は切腹することになった。 この時の罪状は仇討ちしたことではなくて、「許可なく」「市中を騒がせた」ことである。仇討ちには、時代によって異なるが、「届けて許可を得ること」「尊属に限る」というのはほぼ共通していた。「曾我兄弟の仇討ち」「鍵屋の辻の決闘」「元禄赤穂事件」が三大仇討ちといわれている、曾我兄弟は許可を受けてなかったので処罰された。鍵屋の事件は荒木又衛門で有名であるが、旗本と大名の争いまでに発展したこともあり、もともと弟の敵ということで仇を取った荒木又衛門グループはいつの間にか歴史から消えてしまった。 赤穂事件は上述のごとく仇を討った全員が切腹で終わった。子は親の敵を討つことが出来たが(場合によっては命令であった)、親は子の仇を討つことが許されなかった。敵討ちにルールが出来たのは、ルールがないと勝手に人を殺して敵討ちと言い逃れすることを防ぐこと、また一見片方の行為が妥当あるいは正しいと思われる事件でも、他人にはわからない事情が内在しているかもしれないからである。魔女狩り的復讐を認めないという法治国家の精神が昔からあったといってよい。 今度の福岡の事件も今後上級裁判所でどのような展開を見せるかわからないが、法の捌きの手順に沿って最終の判決に到る。それまではテレビの出演者が見せるような、自分だけが正しいといわんばかりの意見は慎んだ方がよい。ただ飲酒して運転することを刃物を持って道を歩く行為と同等に見なす必要があるのではないかと思う。まだまだ酒の上だからという言い訳が通用するような判決であったことは確かである。同様にタバコを吸いながら歩くのも禁止すべきである。自分がガンを抱えた身体であるので、タバコの匂いを嗅ぐと一変に体内のガン細胞が騒ぎ出して体の調子がおかしくなるのだ。そういう人間が街を歩いているということを知って欲しい。とはいっても、法律がそれを支持してくれないことには法治国家ではタバコの煙から逃げるほかない。↑ページトップ 080207 「夜スペ」和田中学の夜間塾 民間出身校長のパーフォーマンス塾が始まった。東京都杉並区和田中学校の夜間塾である。正直に言って小生は良否の判断ができない。具体的なことがわからないので判断できないのである。それなのに強いて感想を書く。この塾の目的は私立中に行かずに済む受験サポートである。これがわからない。塾はいっぱいある。そこへ行けばいいのにわざわざ公立中学の「夜スペ」に行かなくても外部の塾に行くことができる。それに対して「夜スペ」を設けたのは、もっと塾代を安くすることができるということか、あるいは当中学の生徒は受験合格率の高い私学に受からなかった生徒が集まっているということしか理由が考えられない。 そういった生徒を公立中学の校舎を使って塾を開業するなら、なぜ同じ中学の生徒だけに絞るのかわからない。税金をかけた校舎を使うなら、杉並区全区から生徒を集めたほうがいい。生徒数が多すぎるならふるい分けをする必要がある。その方便として自校の生徒に限定したとしても、それは言い訳にしか過ぎない。今回は同じ学校の生徒を試験によって成績のいいものを選別したとのことであるが、これもわからない。一定間隔で選別試験を行って受講生の入れ替えを行うのか。そうすると授業の一貫性がなくなってしまう。もし、通常の学校のように一度受け入れたらそのまま続くなら、最初に落ちた生徒らは恨みをもつものが出てくる可能性があり、それこそ「いじめ」を助長しかねない。人は出発点の不公平さを解消できない事に不満を持つものである。大学受験も、不合格であっても来年に再挑戦できるから不満は鬱積しないのである。夜スペでは、蓋を開けてみたら希望者が少なかったのでそのような心配はなかったようだ。 教組側は義務教育の機会均等性、事業の公共性、公務員の兼業禁止などに疑問を投げかけた。当然の疑問である。それに対して、当局は、習熟度別の対策は既に取っている、学力の向上と公共の利益はある、地域本部の活動で、費用は実費相当で営利性はなし、教材は塾が開発し、教諭は相談を受ける程度などと返答をしているようだ。疑問も解答も想定内でとくに目が覚めるような議論はない。 要は、どうしたら優秀な生徒が育つかと言うことであろう。既存の塾を公立の学校の施設で行うという事がそれに繋がるかどうかである。どうも今までやっていないことをやるという奇を衒っただけのようにも見えるし、もしかして効果があるかもという期待がないでもないが。小生が高校生の時、学校で無料の補習授業が行われた。はっきり言って大して役に立たなかった。勉強は、学校の授業をもとに独力でやり、わからなければその都度友達か先生に聞くのが一番である。補習授業を受けたのは、他人がやるのに自分だけ参加してないと遅れを取るという心配がよぎったからである。小生は和田中の「夜スペ」もそんな程度のものと踏んでいる。 塾の先生の講義は上手いかも知れないが、それに影響される程度では、将来役立つ優秀な生徒の底上げにはならない。塾経営のような発想をするのではなく、子供の資質を延ばすような教育をするということを、学校教育の中で考えるべきである。そのためには教師の待遇をよくし、質の高い教師の数の充実が必要ではないか。知識を詰め込むのも教育には必要であるが、子供を導くようなスタイルの教育が望ましい。就学前教育を行ったり、あるいは図書館を充実させて、思い切って全寮制にしてみたら。↑ページトップ 080205 偽装 ブルータスお前もか、ではないが偽装と言えば今までは食品関係の独壇場だったのに、製紙メーカーの7割で古紙割合に関して偽装があることが判明した。食品はもしかしたら健康に影響する場合があるかもしれないという点で、消費者に深刻な影響を与える確率は高い。 紙の場合は、例えば年賀状の古紙割合がどれぐらいであっても使用者は何の不便を感じない。多分、環境配慮製品だからその年賀状を買ったのではなくて、渡されるものを受け取って、見てみたら古紙が含まれていることを知ったのではないか。しかし、このようなところまで環境配慮がなされる時代と受け取った人は多いのではないだろうか。地球環境問題への認識を高める効果はあったであろう。 建築物の強度設計のごまかしは、消化器系とは違った面からわれわれの生命に危険を与えかねない。少しでも収入を増やそうとごまかしをする。偽装は別の国の専売特許と思っていたが、我が国もとっぷり偽装に包まれているようである。多分偽装が可能な事業、製品、行為に偽装は満ち満ちているのではないか。この次は何が出てくるだろうか。 年金、道路特定財源流用などで公務員あるいは公共団体だけが悪いことをしているようにマスコミは報じるが、同じ国民である。民間はきれいに動いているなんて思うことはナンセンスである。何かあれば誤魔化そう、言い負かそうなどとする光景は日常茶飯事である。藤原正彦著「国家の品格」という本がよく売れた。痛快な内容である。そう思わせるのはわが国の品格がそれだけ低下してきたことの表れである。 戦後の急成長で自信が過信に変わり、自分の国はごまかしはしない、安全な国と思い込むようになった。中国が中華思想で自分の国が世界の中心にあるべき国と思っていると批判する意見をよく聞くが、日本もいつの間にか世界で一番いい国と思い込むようになった。世界でまれにみる安全な国と思い込むようになった。わが国程度の安全な国はいくらでもあったのである。わが国が世界で一番と誇れるのは平均寿命ぐらいではないだろうか。思い込みと実際とのずれがあり、良いと思っているうちにどんどん状況は悪化し、偽装が蔓延していく。いや、偽装が増えてきたというより、もともとあったものが明らかになって来ただけかもしれない。 化粧するのも一種の偽装である。他人に迷惑をかけるわけではないので文句は出ないが、場合によってはそんなはずはなかったというケースもあるかもしれない。他人に実際より良く見せようとする行為には、例えば面接の時の態度がある。これも他人に明らかに必要以上の期待を持たせるという点では偽装である。就職の場合は採用したらダメ人物であったりすれば完全な偽装と言ってよい。しかしこのようなケースには偽装という用語は適用されない。偽装の善悪は案外難しいのではないだろうか。 期末試験のカンニングはいつの時代でもあり、一向に減らない。見つかれば留年しなくてはならないほどの処分があっても、自分だけは見つからないと思うのか、一向に減らない。悪いと思っていることが一向に減らないのは、楽をしてあるいは誤魔化しても得をしようという人間の本性かも知れない。法整備を含めて偽装を防止するための対策がいろいろと取られ、当面対象となる偽装は減るかもしれないが、別の偽装が行われ、絶対数は変わらないだろう。 輸入食品の安全性を問題にした当初は、自国のものは大丈夫であると思い込んでいた。そうしたら偽装が発覚した。要するにラベルは信用できないということだ。世の中に信用が置けるものはないと思って、自己防衛するのが一番かも知れない。大雑把に言えば、世の中の製品は完成度が70%ぐらいの時に出荷される。30%の不良品に当たれば製品を交換するというルールで世の中は成り立っていると思えばいい。30%に当たれば運が悪いと諦めるか、保険をかけて補償する。まともにやっても欠陥商品は出荷される。偽装されたもので安全に利用できるものはある。7:3程度の運・不運である。このように考えれば偽装問題に腹を立てることもなく、さて今度は何が明らかになるか楽しみになる。↑ページトップ 080204 立山連峰 ご来光を拝むというのは高山で日の出を拝むことであるが、高山でなくても朝日を拝むという風習はわが国にはある。ブラジルのパンタナール湿地で地平線からの日の出を拝んだことがあったが、横にいた現地人やヨーロッパ人は拝まなかった。夕日はどういうわけか、他人は知らず小生は拝まない。大学時代、卒論のために海で1年過ごしたことがあるが、実験所の裏山に登ってよく朝日と夕日を眺めた。登る朝日には手を合わせたが夕日は眺めるだけであった。朝日には強さを感じるが、夕日にはそれを感じない。朝日には景色のすばらしさよりも、これから一日が始まるといううれしさがあり、今日も一日無事であるようにと手を合わせる。朝日や夕日は背景がよければ何処でもすばらしいが、小生の印象に強く残っている処は日光の戦場ヶ原における朝日、宮古島、マニラ湾の夕日である。パンタナールの地平線に落ちる夕日も良かった。 高校時代の先輩の母親が「登山だけはやらないように」とよく言っていた。遭難した後の家族が気の毒というのが理由である。それに少し影響されたか、富士登山が苦しかったからか、登山には興味を持たなかった。しかし、電車かバスで行ける山は少し登った。好きな山は立山である。初めて登った時はなんてすばらしい山かと取り憑かれるような感じがした。いまもってその時の感動を感じることが出来る。その時はまだ黒部ダムに通じるトンネルは出来ていなかったが、その後3回立山を登った。立山連峰は遠くから見ても美しい。海越しに見るのがいい。 晴れた日に雪を被った立山連峰を氷見市や雨晴海岸あたりから眺める景色は抜群である。世界に誇れる景色と思う。富山に住んでいた頃は、自宅の窓から弥陀ヶ原、立山、剣岳がよく見えた。宿舎横の中学校の横にはきれいな小川が流れて、鮎その他の魚が沢山泳いでいるのを見ることが出来た。大きな銀杏の木は秋には銀杏がたわわに実り、その実を拾うのが楽しかった。目が疲れれば山を眺め、気分転換に水の流れと水中生物を観察したものである。身近に自然を楽しめる環境があるのは心和むものである↑ページトップ 080201 富士登山 富士山について長く触れたが、小生が富士山に登ったのは1回だけである、中学生の頃、姉、兄、従姉妹および近所の親しい人達と数人で登った。麓から登ったのである。今は5合目ぐらいまで車で行けるが、当時は登山バスがなかったからである。服装は地下足袋とゲートル巻きである。ゲートルを知らない人の方が多いからちょっと説明すると、木綿、麻、革などでできた脛を包む服装品である。外側を編み上げるものもあるが、小生など貧乏人は細長い木綿製の10cmぐらいの長い帯を巻き付けるものである。戦時中の日本兵が身につけているのを映画などで見ることが出来る。戦争に備えて小学校の上級生ぐらいの子供にもゲートルを巻くことは覚えさせられたものである。自宅に居て空襲警報が出た時はいつも巻いていた。登山した時はもう戦後であったが登山用具が普及してない時代であったので、それを巻いて出掛けた。 歩いても歩いても木に覆われた道を歩くだけで、登山とはこんなつまらないものかと思った。5合目くらいになると、木がまばらになり一変に視界が開け、頂上が視野に飛び込んできたら一変に気力が湧いてきた。7合目ぐらいからちょっと歩くと呼吸が苦しくなるくらいに疲れてきた。8合5勺目の山小屋で泊まることになった。超満員である。寝ても寝返りが打てない。顔のところに女性のお尻がきていたが避けることも出来ないし、色気を感じるより屁でも放られたらどうしようと思っている中に眠ってしまった。 朝はご来光を拝むために早く起きた。先頭を歩いたが懐中電灯なしだから道に迷ってしまった。そのため皆に迷惑を掛けたが、無事頂上に辿り着いた。他の山々を見下すという満足感に浸りながら頂上をしばらく散策したが、米軍の実弾射撃が麓で行われるから早く下山しろということで、御殿場に向かって走り下りた。富士山登山駅伝という大会がテレビ放映される時、下りにおける"大砂走り"の転げ落ちが映される、全くあの通りで溶岩砂のところを転げながら下った。麓の御殿場まであっという間に辿り着いた。地下足袋はもう二度と履けないようにいかれてしまった。楽しいとも言えぬ登山であったが日本一高い山を登ったという達成感はあった。↑ページトップ 080130 福士加代子 あのよろける姿は箱根駅伝のリタイアー走者を思い出させる。呼び物であった大阪国際マラソンの福士加代子の倒れる姿のことである。案の定、マスコミは劇的な悲劇の女王に仕立てていた。常日頃小生は、マラソンで目立ちたいなら一番になるか最下位になるかであると言っている。スポーツの競争種目では、中途半端に負けるより、劇的に遅くゴールに達する姿を見せつければ、観衆の同情を一手に浴びる。オリンピックの水泳で、アフリカの選手が今にも溺れそうに泳いで激励の声援を浴びたことがある。参加することに意味があるとはいっても、あの程度のタイムで泳ぐ者は、選手でなくても大勢居る。何故オリンピックに出場できたか不思議である。しかし観衆の声援を浴びた。参加が可能になる過程に疑問があっても同情の嵐が湧き、その選手の姿が正当化される。 福士の場合、振りまく笑顔とトラックの記録に支えられて、必要以上に期待が持たれた。マラソンに出場するのに、40キロの練習をしたことがないという。彼女がエチオピアで練習した時に、その国の選手がそうだから自分もそれでいいと思ったかも知れない。小生もエチオピアで1ヶ月住んだことがある。身体の適応性が違うのだ。高度が2千メートル以上のところ住んでいると、平地に住んでいる人間と身体の適応性が違ってくる。例えば、われわれは酒を飲んでもすぐ酔ってしまうのに当地の人は平気である。早足でしばらく歩くと息切れするのに、彼等は平気である。それがわからなかったならコーチを含め見る目を持っていないといっていい。 わが国のマラソンランナーは40キロ以上を走る練習をする。もともとマラソンは30キロメートル以上でガラリと体調が変わるといわれている。それをせずまた練習も1ヶ月程度の練習だったという。マラソンをなめたような態度に疑念も持たずに、マスコミはわれわれに必要以上な期待を持たせるように彼女を持ち上げていた。そんな中、スタートを切ったら、ハーフマラソンかトラック競技のごとく走りだした。何をしているのかと思った。テレビ中継ではそれを誰も指摘していないのが不思議であった。逆に「第2グループは何を考えて走っているのか」と言っていた。これも今大会でヒロインになったランナーを美化することだけに囚われているからだろう。30キロ過ぎたあたりで喘ぎ顔になった時点で、やはりと思ったら間もなくブレーキが掛かった。「マラソンを嘗めんじゃないよ」と口にはしないが心の中で叫びながら抜いていった選手もいるのではないか。 箱根駅伝ではリタイアーさせるような状況でも、監督が止めてもいいというのに、ゴールまで行かせてくれと言って最後まで走った。その点は評価できるが、あのようによろけても異常を来さないのなら、箱根駅伝でも走らせたらいいのではないかと思った。マラソンは個人だが、駅伝はタスキを繋がなくてはならない。小生が監督だったら止めさせる。同じ個人において、すぐ回復する場合もあるが、後に響く場合があるからである。小生は高校時代は陸上競技部に属していた。その時に得た、プロと較べれば取るに足らないほどの経験からの意見ではあるが。 福士選手を嫌いではない。準備不足で出場するのは本人の勝手である。周りが名前と笑顔につられて騒ぎ過ぎるのが気になったレースであった。↑ページトップ 080129 白鵬勝つ-相撲嫌いの妻が手を叩く 思わず手を叩く。スポーツ観戦で生まれて初めて手を叩いた。大相撲初場所千秋楽で白鵬が朝青龍に勝った時である。妻にいたっては、裸でお尻を見せるスポーツは嫌いだといって相撲は見たことはないのに、観た上に手を叩いた。それほどいい意味での異様な瞬間であった。素晴らしい力相撲であった。あんな相撲は観たことがない。最近は省エネ相撲が多い。はたき込み、引き落としのような技が多い。省エネの最たるものはケタ繰りである。引き技は、実は自滅を招きやすい技である。ケタ繰りもそれをかわされれば、自分が簡単に崩れる。そのような技にはまるのはどうしてかわからない。動体視力の鍛えが足りないのか。小生の経験からいって、ケタ繰りも一瞬わかるはずである。相撲の立ち会いは「後の先」でなくてはならぬ。思いっきりぶつかっても、心の中である間をとるのである。 小生が小学4年生の時、先生に指名されて関取による指導を受ける場に出席させられたことがある。市内の多くの学校から生徒が多く出席していたが、ほとんどが6年生であった。小学校の2年間の体力差は大きい。練習相手の生徒とは押し相撲には体力的に負けていた。指定された練習は押すことだけである。苦し紛れに技を掛けると怒られた。小生は、子供の頃は寄り切りはつまらなく、投げ技がいいとばっかり思っていたが、相撲は押しが原点であることを教わった。学生相撲や大相撲でも練習の時は押しをやっているのに、いざ本場所になると引き技が多くなる。 小生の子供の頃、双葉山の全盛期、突っ張りや張り手も嫌われていた。禁じ手でないから堂々と使えばいいのに、卑怯という感じで捉える傾向があった。たしか前田山だったか、双葉山に張り手を使って一変に嫌われたことがあった。突っ張りやはり手も前に向かう手であるから、引き技やりよっぽどいい。 白鵬や朝青龍も、もしあのような取り口をやっていたら、15日間は持たないのだろうか。そんなことはないだろうと思う。一日間があれば疲れは回復するようにしなければならない。柔道などは予選から決勝まで1日でやる場合がある。短期間で疲労回復するのも試合の中である。朝青龍は13日目の琴光喜との対戦も見応えのある相撲を取っていた。他の力士も見習ってほしい。 もう一つの感想は、朝青龍がヒールになって盛り上がったことである。相撲にはヒールは要らないが、今場所ばかりははっきり言って朝青龍が主役であった。翌日のスポーツ紙は朝青龍の写真が大きく載っていた。あれだけバッシングを受けたにもかかわらず、何時の間にやら応援の渦の中にいた。負けるのを期待して観ていた人もいるけれど、握手を求める人も多かった。多分マスコミの影響が大きいと思う。マスコミに誘導されていつの間にかヒールが主役になる舞台が出来上がった。 一旦出来上がった舞台が動き出すと、主役はヒールからヒーローになる。有名人なら誰でもいいというのが今の世の中である。今回の大阪府知事選挙ははじめから結果はわかっていた。選挙に出ようとするなら、お笑いでもいいから、テレビに出て顔を売るのが早道、早道という寄り常道になりつつある。朝青龍は、勝負は強ければいいというのをまざまざと見せつけた。世の中は、怪我を口実に巡業をさぼりサッカーに興じたりした日本的礼儀を失した行動をもう忘れたようである。人が良いというのか何処か抜けているのか、あのような力強い相撲を取ったことにより、もう過去を洗い流したようである。小生が手を叩いたのは朝青龍が負けたからである。 相撲らしい相撲を取ったのが日本人でなくて外国人であったのも、印象的であった。十両優勝者もグルジア人である。日本人関取がだらしないというより、国際化した現れであり、あのような相撲を取ってくれるなら外国人でもいい。外国人同士の取り組みであったが瞬間視聴率は34.1%であった。小生は豊真将が好きである。あのお辞儀がいい。しかし今場所は弱かった。↑ページトップ 080128 GDPの後退は悪いのか 2,007年12月26日の内閣府発表によると、2006年の日本人1人当たりの名目国内総生産(GDP)は3万4252ドルで経済協力開発機構(OECD)30ヶ国中18位となったことを報じていた。日本の名目GDP総額は4兆3755億ドルで、世界のGDPに占める比率は9.1%で、24年ぶりに10%を割り込んだ。構造改革が進まないこと、円安の影響でドル建てのGDPが目減りしたほかデフレの影響を受けて名目GDPの伸びが低迷したことが原因と言われて、全般的にわが国の元気の無さの表れを示しているといった方向で報じられている。 小生は日本はその程度の国と思っている。人口で世界10番目、面積では60番目の国である。戦後コツコツと働いてここまで来たのであるが、ちょっと稼ぎすぎてしまった。ちょうど身の丈の定位置に収まりつつあるのではないか。わが国は、排他的経済水域を含めると世界で9番目の広さである。だから1人当たりのGDPが18位というのは少し低いというかもしれない。しかし、第二次世界大戦に負けて高度成長期に向かうまで、わが国はスイスやデンマークを目標にしていた。少なくとも小生は周りでそのように囁いているのを聞いて育った。GDPを指標にすれば、現在はちょうどその程度のところにいる。 環境問題解決の最終的な鍵は二酸化炭素排出カットではなく、われわれ人間の活動をどうするかである。この際、わが国が率先してGDPの伸びを誇ることを止めて、つつましく生活するように転換してはどうか。そのためには国連常任理事国に入るために四苦八苦するのを止める。更には、G8などの主要国サミット参加国からはずして貰って、国際的な発言力なんて気にしなくする。海外援助ももっと一人当たりのGDPの高い国に任せ、わが国はほんのお手伝い程度でよくないか。 要するに東洋の片隅で貧しくも平和に暮らす国に転換したらどうであろう。わが国は徳川幕府による長い鎖国状態の下、総じて米穀経済で平和にやって来た。国際的な発言力なんて、老年時の秀吉を除いて、考えなかった。 明治維新の意味も、近代化といえば綺麗に聞こえるが、経済発展を遂げるための制度の変革といってもいい。外圧で目覚めたように言われているが、静かに暮らしていたところを外圧によって起こされて、金儲けを知り、その結果戦争ばかりやりだしたと言っていい。平和憲法によって、今のところ戦争を仕掛けることはなくなったが、世論が一つになることはよくある。スポーツで国粋的になるのも一つ間違えば危ないことは、他所の危ない国を見れば分かる。静かに暮らすには、あまり成長に気を取られないことである。それが環境保全の最も近い道筋と思うからである。金を儲けて最近のように治安が悪くなれば世話は無い。↑ページトップ 080123 富士に立つ影 広重の絵と言えば、「東海道五十三次・原」に描かれている富士山前方の絵は愛鷹山(アシタカヤマ)である。正確には愛鷹山連山である。その一つが愛鷹山(1187m)で一番高いのが越前岳(1504m)である。大抵の地図には愛鷹山の名前だけが書いてある。どういうわけか一番高くない山の名が代表名になっている。富士山の南に、宝永山を富士山に向かって真正面から見る格好で位置していて、新幹線からよく見える。40万年ほど前に噴火した後の山々で、両サイドの裾野がきれいである。だから曇っていて富士山が見えないときに新幹線から見る時は、この愛鷹山の裾野を富士山のものと勘違いする人も多いのではないだろうか。フォッサマグナに含まれ、ブナの原生林があるなど良い生物相が見られる。初夢に纏わる語呂合わせに「一富士、二鷹、三茄子」というのがあるが、この鷹は駿河の国の山の高さの順番を表わす愛鷹山のことという説もある。ただし愛鷹山は正確には駿河の国の二番目の高さではない。 愛鷹山と言えば、白井喬二の著書「富士に立つ影」の舞台となったところである。文化二年、富士の裾野の築城に纏わる熊木―佐藤家の、江戸から明治にかけての三代にわたる対立を綴った壮大な物語である。それを映画化したものを中学生か高校生のころに見た覚えがある。二つ作られていて、1942年のもの(大映)の主演は坂東妻三郎で、1957年もの(東映)の主演は市川右太衛門で里見浩太郎や北大路欣也も出ている。小生の年代の人にはよく知られた映画である。 富士山と愛鷹山の麓が重なったようなところに富士サファリパーク(裾野市)がある。ここの動物の排泄物による水質汚染に関与したことがある。動物が排泄した物が地下水脈に混入して下流の熱海などの水道水を劣化するのではないかという問題である。排泄物の管理が重要であるが、動物が広い敷地に放し飼い的に飼われていて、動物が便所に行くわけではない。経営側の発言は、水利用する場所から離れているので、土壌の濾過作用で病原体は十分除去できるというものであった。それについて意見を求められて、火山の地下は溶岩があり、水が短絡的に早く流れる場合がある上に、病原体としてウイルスを考えなくてはならない。だから、排水の流れを完全にコントロールした上で排水処理し、地上の糞便は集めてしかるべく処理処分をするべきであると答えた。 当時はまだウイルスに関心がなかった時で、ウイルスを取り上げたことが奇異に受け取られた。そこで、ファージを測定し、危険性を示した。その後具体的にどうなったかは聞いていない。1996年に越生町でクリプトスポリジウムによる水道水汚染で大勢の患者が出る事件の相当前であった。クリプトスポリジウムは原虫(原生動物の病原体)であり、当時は全く注目されていなかった。もし事件後だったら原虫対策についても触れていただろう。サファリーパークにおける原虫汚染と、下流水域における原虫対策がどうなっているかが気になる。 愛鷹山の富士サファリーパークと反対側に位置する三島市の近くの清水町に柿田川湧水群がある。柿田川に流れる水はその湧水群のみに由来するものであり100万m3/日の流量がある。水の透明度が有名で、ときどきテレビなどで報じられることがあるから御存じ方も多いと思う。富士山の雪解け水が長い年月を後に湧き出た処といわれ、水生生物も豊富で一見に値する。環境水の水質に関心のある方にはぜひ見てもらいたい川である。三島駅の南側のすぐ前に、湧水池で有名な楽寿園という公園がある。高校生時代に初めて見たときは迫力ある湧水の吹き出しに魅せられた。その後三度ほど訪れたが、訪れる毎に湧水量が減り、ついには水が見られなくなった。水の汲み過ぎとのことであったが、最近は少しづつ回復しつつあると聞く。三島を訪れる時にはちょっと寄ってみたい処である。↑ページトップ 080122 富士山麓にオーム鳴く 車があれば富士山の麓を、√5を唱えながら一周するのもいい。芦ノ湖大観山と乙女峠から見る富士山も美しい。前者は箱根駅伝のテレビ中継の時に時々映し出されている。芦ノ湖の背景となる富士山は、多分神奈川県人が一番富士山がきれいと思う所であろう。乙女トンネルを仙石原の方から抜けると目の前に大きな姿の富士山が飛び込んでくる。思わず「綺麗」と言葉が飛び出してくる。どうしても駐車場に車を止めて眺めたくなる。この二か所は富士山ビュ−ポイントとして欠かせない処である。 本栖湖を少し南西に走ると朝霧高原の一角に存在する田貫湖という周囲4kmの小さな湖がある。沼と言ったほうが適切である。草原的雰囲気と富士山とのコンビネーションで女性の好む柔らかさのある環境である。最近はダイヤモンド富士で賑わうようになったらしい。関西では知名度が低いが案外人気のある場所である。ダイヤモンド富士とは富士山の頂きに太陽が重なる現象である。 富士宮市に来ると白糸の滝がある。何の変哲もない平地に忽然と滝が現れる。高さ20mほどだが幅が100mほどあり、簾を立て掛けたようである。富士山の雪が溶岩を流れて、崖から流れ落ちるのが滝となっているものである。規模は全く違うが、平地から幅広い滝になっているのはイグアスの滝(南米)を思わせる。イグアスの滝は幅4qもあり、自分が世界中で見た中で一番好き滝である。イグアスの滝の飛沫は雨合羽が必要なほどであるが、白糸の滝は濡れることはないけれど夏でも涼しく、そこで食べる鯉料理は結構いける。 白糸の滝のすぐ横に「音止の滝」がある(高さ25m、幅5m)。曽我兄弟が父の仇打ちの密議をしている時(源頼朝の時代)に、滝音で話が聞き取れないので神に念じたら音が止んだという伝説がある。いまどきの若者の多くは曽我兄弟は知らない。仇打ちは知らなくても、この滝はうるさいぐらいに水量が多いから、白糸の滝へ行った折には寄ってみてはいかがか。 富士山麓を一周すると気付くのは、宗教団体が多いことである。何か宗教団体産地といった感じである。最もまともなのは旧官幣大社富士山本宮浅間神社で、主祭神は木花咲耶姫命である。806年に平城天皇の命で阪上田村麻呂が現在の地に遷宮したもので、源頼朝、豊臣秀吉、徳川家康などが寄進している。富士山8合目以上はこの大社の境内で頂上には奥宮がある。また、創価学会と袂を分けたが、その発祥となった大石寺がある。日蓮正宗本山であり、相当立派なお寺である。このような歴史的なものと違い、数としては新興宗教が圧倒的に多い。怪しげなのが多く、その代表例として、いっとき世の中を騒然とさせ日本一有名になった村である上九一色村(分割合併されて今はない)にあったオーム真理教(アーレフに改称)があった。また詐欺事件で破産、解散した法の華三法行(名前を変えて存続しているらしい)がある。このように宗教団体が多いのは、雄大さと自然環境への畏敬から発展した山岳信仰の一つの表れかも知れない。富士山の雄大さと美しさ、裾野の広さに霊力があると信じるあるいは信じ込ませる魅力があることが関係しているのではないだろうか。 山麓ではないが富士の風景でよく出るのは歌川広重の絵で有名な由比の海岸がある。中学生、高校生の時に遠足に行く場所であった。確かにきれいで、今も関東地方に台風が接近すると波の飛沫のすごさを映す光景がテレビで放映される。その時は富士山は見えないが、道路と鉄道が圧縮されてカーブを描いているのがよく分かる。近代的な施設に映える富士の姿もいいけれど、広重の世界のほうが富士はよく似合う。↑ページトップ 080121 梅若菜まりこの宿のとろろ汁 太宰治は富嶽百景で「富士には月見草がよく似合う」と書いている。山梨県の御坂峠の天下茶屋からの風景であるが、ここからは河口湖を手前に見て左右対称のきれいな富士山が見られる。しかし富士五湖からの富士山としては、小生は本栖湖から見るのが好きである。山そのものは角度から見て少し歪の感じで見えるが、湖と一体的にみると、山中湖や河口湖ほどに観光開発されておらず、なんといっても湖の水質が一番きれいで、全体的に静寂な環境である。 山部赤人の「田子の浦ゆうち出てみれば、真白にそ富士の高嶺に雪は降りける」の歌に見る富士は駿河湾からの、小生の言う表富士である。確かにきれいであるが田子の浦からは宝永山が正面すぎて非対称の美しさに少し欠ける。ここからの富士山は新幹線から見るものとほぼ同一である。しかし海を前方にした風景は列車から見るものよりはるかに趣は優れている。 新幹線が開通して間もなく「こだま」に乗った時、車掌が「間もなく富士山がきれいに見えるところに差し掛かります。他のところでは煙突が邪魔をします」とアナウンスがあり、そこに差し掛かると列車が徐行し、「はい、写真を撮るなら今です」と言ってくれた。びっくりするとともに国鉄(当時)もサービスがよくなったと感心したが。そのような経験はその時だけである。ローカル線で「ただいま○○が右側によく見えます」と案内がある場合はある。飛行機ではよくあることで、富士山、鳥海山、キリマンジェロ、マッキンンレーなどが見える時にアナウンスを聞いたことがある。アルプスをスイス航空で越える時、空いていたのでスチュワーデスが横に座って山々を指さして教えてくれた。新幹線の列車が徐行するのは、運転本数が多い今では運行に支障をきたすから無理であるが、テロップでもう少し観光サービスすることがあってもいいのではないか。スピーカーで声を出すのは騒音になるから控えた方がよい。 大阪から東京に向かうとき富士山は左手に見えるが、一か所だけ右に見えるところがあるのをご存じだろうか。大井川を過ぎ、しばらく行くとトンネルがある。左手に東名高速道の日本坂トンネルといういかにもトンネルの入り口らしいのが見える。このトンネルを抜けてしばらく行ってから安部川を渡る手前までがポイントである。左手に巴川製紙が見えるがその時はすでに右側を見ていなくてはならない。静岡駅に着いたらもう遅い。このトンネルの海側は大崩という海に迫った景観が楽しめるところである。 安部川は「安倍川もち」の方が有名かもしれないが、川の東海道にかかる橋の東詰にある店が発祥であり、家康が命名したといわれるから400年の歴史がある。30年ほど前に安部川の話をしたら「安部川もちに因んで川の名前を付けるなんてユーモアがあって面白い」と笑われたことがある。逆なのである。安部川は徳川家康が人質となって駿府(今の静岡)いた子供の頃、よくこの川で遊んだと言われている。安倍川もちを売っている老舗のある処から少し足を大阪寄りに伸ばすと、十返舎一九の東海道中膝栗毛に出てくる弥次と喜多さんが食したという「丸子(まりこ)のとろろ汁」で有名な丸子宿がある。「梅若葉まりこの宿のとろろ汁」という芭蕉の句もある。麦飯で食べるとろろ汁はちょっとおつなものである。もっとも脂っこいものが好きな今の若者にはあまり喜ばれないかもしれない。丁字屋という江戸情緒を残した店がある。 その近くに吐月峰柴屋寺(とげっぽうさいおくじ)という今川氏に仕えた連歌師宋長が造った観月の名所がある。国の名勝・史跡庭園である。ここの庭は見るに値する。大きくないが京都にあったら全国的に有名になっていること請け合いである。また有名かどうか知らないがモリアオガエルが産卵する場所でもある。もし静岡に行ったら、小生が富士山の姿を見ることができる処で最もいいと思っている日本平と、とろろ汁を食べてから吐月峰柴屋寺に寄ることをお勧めする。↑ページトップ 080117 富士山 生まれ育ちが静岡のせいか富士山への思い込みが強い。晴れた日は横浜の自宅のベランダから首を右に回して背伸びすれば7合目辺りから見えるが、5階から階段を降りて目の前の通路に出れば3合目ぐらいの麓から眺めることができる。今年の冬は晴れて透き通った日が多くて見る機会に恵まれた。特に夕日を浴びてシルエット化した姿がいい。富士山が見える日は、見ないと気が済まない。故郷の景色への郷愁は個人差があり、富士山の見える所で生まれ育った人が皆そうするわけではないだろう。家内は神戸が故郷だから論外であるが、子供二人は横浜育ちでも富士山に特別な思いは持っていない。いつも皆に、どうしてそんなに見たがるのか、と冷やかされる。横浜から見える富士山と静岡からの眺望が違うことも少し原因しているかもしれない。 静岡からのほうが大きく見える。静岡からは宝永山の出っ張りが、完全なシンメトリックな姿にバリエーションを与え安定感をもたらしている。山梨県側からも、富士五湖の調査、自分の観光、人の案内を通じて、朝昼夕方いろいろの時間帯で相当の回数しかも各季節に亘って見ている。湖に姿を写す富士、逆光から見る富士も美しいが、どうしても南側から見る山にこだわってしまう。どちらが表でどちらが裏かは、何処を基準にするかによって正反対になってしまうが、太陽を背にしてすなわち南側から見る姿を表、その逆が裏と思う概念が小生の頭の中では固定化している。山の南側のほうに都市が発達するからである。 六甲山の海側に神戸など阪神間の市街地が開けていて、開けているほうを表と見る。有馬の方を裏と見る。山陽道を表、山陰道を裏。富山に住んでいた時は裏日本という言葉をよく聞いた。表が良くて裏が悪いと言っているのではない。山梨県側からは宝永山があまり見えない。神奈川県からは少し見えるが宝永山の醸し出す構図の美しさは見られない。なんと言っても富士山の半分と頂上が静岡県に属している。静岡県人にとってはおらが山である。だから小生の娘と息子には富士山の思い入れはあまりないのかもしれない。 小生の実家の近くに谷津山という丘と言ってもいい山がある。新幹線でいうと、東京に向かって左側、静岡駅を出てすぐのところで東海大学の看板が見える。そこに登ると富士山がきれいに見える。散歩でよく登ったが、高校生の頃は陸上部に属していて、練習のためにその山をよく駆けたものである。高校の校舎は当時駿府城にあった兵舎跡を利用していたが、広い城址のグランドからいつも富士山がよく見えた。これらの経験がわが家族と決定的な富士山への思い入れの差を作ったのであろう。数年前静岡県立大学に行く途中に、静岡電鉄の電車の最前席に座っていた時、長沼駅あたりでひょいと前を見たら、前方に富士山がドカッと控えていた。素晴らしいと思った。まさに高校生時代に慣れ親しんだ富士山であった。↑ページトップ 080111 伝えるということ 相澤さんとお会いした前日に、前沢工業の木村さんと会食した。彼も大学で教えていて、お会いする直前に教え子が箱根駅伝で抜かされたと言っていた。その日は箱根駅伝往路の日であった。ところで、相澤、木村両氏との会話の中で共通した点が二つある。一つは、最近は研究分野における学生などの若手の基礎がなってないということである。学会発表でも文献精査を欠いていて、自分の思い込みだけで研究し発表しているのがまま見受けられる。指導教官も大勢の学生を抱えているので、指導しきれないのであろう。また、環境は内容が多岐に亘るので、指導教官の守備範囲を超えた分野まで手を伸ばす必要がある場合がある。 そのような場合は、細かい点については学生のほうが情報を持っている。その結果、指導が行き亘らない結果になる。例えば、工学系の先生は顕微鏡で生物を見て同定することができる人は少ない。その生物を制御しなければならない研究をする場合に、その生物を確認しなければならない。素人が絵合わせ的に生物を分類しても間違うことはよくある。学生が勝手に生物を判別して研究を進めても、別の生物を扱っていては研究が最初の段階から目的から逸れてしまう。指導教官自身がその生物を同定できなければ、学生に修正を指示できない。 「同定」と言う用語には苦い思い出がある。さる水道局に勤めていたとき、報告書の中にで「同定」という用語を使った。そうしたら、この単語は何だと突き返された。そこで同定とは「生物の分類上で属しているところを決めることで、生物の種名を決定することを言う生物学上の専門用語(identification)」と返事をしたら、素人はそんなことは知らないと言ってまた突き返された。仕方なく、「顕微鏡で調べたらその生物は○○とイう種であった」というような文章に変えて通った。突き返した上司は土木職の部長で、水道局が上水道と下水道から成り立っていた時代(今も合体したが)の水道のトップである。そこまで報告書が届く過程の上司は認めていてくれたのだが。自分では誰でも分かるであろうと思われる専門用語も、素人には全く通じない場合があり、行政の報告書には使えないことがあるということを知らされた。 さて、雑談の中で話題となったことは、すでにどこかで触れたが、古いことを知る重要性である。現在は過去の積み重ねである。基準値の一つをとっても、どうしてそうなったかを知る必要がある場合がある。ところが、世代替わりを重ねると、古い経緯を知る人がいなくなってしまう。経緯のほかに、貴重な経験や考え方をあるいは個性を伝承するに値のある先輩や出来事が存在する。そのようなものを残すという努力が最近欠けてきたのではないかという意見で一致した。 基準作りの過程は最近はパソコンなどの電子媒体利用技術で以前より残すことは容易になった。ただ、生身の人から人へ流れていく価値ある伝承は電子媒体では伝わらない。それは先輩自身が出来るだけ次世代に伝わるように、文書や会話で伝える必要がある。また職場を卒業した人の間で、あるいは後輩との交流などで接触する機会を持つことが有効ではないだろうか。もっとも最近は年金も安くなり、アルコールが出るような懇談会を催すことに目くじらを立てる心狭き人が多くなった。それではまともな文化の伝承が出来るわけがない。次世代に引き継ぐ作業の効果は、単年度予算的短期間では評価できないからである。↑ページトップ 080110 中国茶 1月3日相澤貴子さん(横浜市水道局技術顧問)と久しぶり(2〜3年振りか)にお会いして「横浜そごう」の「上海ティ−サロン茶語」で中国茶と食事をしながら語り合った。彼女は元国立公衆衛生院時代の衛生工学部水質管理室長であるが、彼女が当部に入院(病気ではない、就職で入ること)に立ち会って以来お付き合いさせてもらっている。もし彼女が目立ちたがり屋だったら、多分マスコミ受けして素人にも広く知られた存在になったと思うほどの顔立ちをしている。美貌と書きたいところだが本人に怒られそうで。 その彼女と出会って、横浜そごうにある上記の店に行くことになり、入口の案内嬢に彼女が目的の店が何階にあるかを聞いた。その時3人いた案内嬢が皆綺麗でびっくりした。昨年末心斎橋筋で「ここには美人の数が少ない」という意見を聞いたばかりだったので、つい「流石、横浜だね」と言ってしまった。そうしたら相澤さんはそこまで見ていなかったらしく、「帰りに見る」と言って、帰りには受付嬢の前でまじまじと見ていた。相手が"何か用か"と訝るほどまじまじと見ていた。多分、「金子さんの審美眼はこんなものか」と思ったのだろう。入った時とメンバーがガラリと変わっていたのだ。さて、彼女とは3時間以上雑談したのでいろいろなことが対象になった。 研究者には@こつこつと研究を楽しむA目立つことに積極的B人付き合い回避型C浮世離れなどに分類できる。最近はAのタイプが多くて困るとぼやき合った。研究では、目立つことは研究を進める動機になるから悪いこととは言い切れない。DNA構造を明らかにしたクリック・ワトソンは如何に最初の発見者になるかの激烈な争いの勝者であり、歴史に名を残すことを強烈に意識していた。これなどは目立ちたがり屋の典型例である。ただ環境関係になると何かを生みだすのではなく、ある物質が存在して、それが環境や生命にどれほど影響するかといった類の研究が多い。この場合、リスクの評価を抜きにして、存在したことを騒ぎ立てるような例が多い。それらをマスコミが取り上げる。目立つと言うことはマスコミが取り上げると言うことであり、マスコミは正当な評価よりも少しでも読者・視聴者を惹きつければよい。それを狙って研究する人は案外多いのである。 ダイオキシンがそのいい例である。必要以上に危険性をあおり、それに乗っかった研究者がいる。その結果、ダイオキシンに関する法律まで出来た。健康、環境、毒性、破壊と言うキーワードに素人は弱いところを巧みに突き、その結果で風評被害が出ようが、無駄な費用や労力が費やされようが知ったことではなく、名前が表に出たり、予算がたくさん付けばしてやったりと喜ぶ。騒がれる対象には研究費が付き、定員が増えやすいと言う現実はある。しかし何か世の中が間違ったことに取り付かれ、場合によってはそれに反対する者に魔女狩り的行動までには発展するのを見るのは心が痛む。 相澤さんは国立、私立の大学で講義もしているので、最近の大学の事情についても嘆き合った。大学を維持するために学生を集めるようになった。良い人物を育てるためではない。表向きは人を育てると言うが、現実は会社の経営そのもので、収入源となる学生を集め、ほどほどに教育をして卒業させているのが実態であろう。人の智を高め有為の人材を育てるのは大学だけではないはずだ。物を直接作る人、社会で汗を流して働く人のステータスをもっと評価するシステムこそが必要である。大学や大学院を作ればいいというのではない。大学の数なんて今の半分で十分である。 しゃべり合った中国茶サロンは長時間ゆっくり時間を過ごすのに大変適したコーナーであった。たくさんあるお茶のメニューは分からないので、店おすすめのものを注文した。まず匂いから味わい、抽出してくれたお茶をゆっくり飲む。ジャーにお湯を一杯入れてくれてあるから時間を掛けて沢山飲める。隣の席との距離はゆったり取ってある。このデパートは横浜港の一角であるから、ベイクウォーター前の水路やベイブリッジが見えて眺望が大変良い。大阪梅田の大丸にも同じ店がある。外の眺めはビルであるから横浜港にはかなわないであろうが一度訪れてみたい。↑ページトップ 080108 ランキング 小生はランク付けというのはあまり好きではないが、世間では当然のごとくいろいろなランキングが行われている。ランク付けしたことが励みになり対象物の質が向上するならそれはそれでよい。たとえば大学のランキングである。しばらくは大学間の差が付くことは不公平であり、受験競争を煽るという考えから、大学間の差を付けるような言動はよろしくないといった雰囲気があったが、受験生が減って大学生き残りを掛けて競争するようになってきた。 当然の結果としてランキングがひとつの指標となってくるが、このような場合は、誰がどのような基準でランク付けするかの問題はあるが、ランク付けされる対象がいい意味での変化をするきっかけになるという点で、ランキングは役立つ。しかし、対象物の絶対的価値はなんら変化しない、あるいは変化の仕様がないものまでランク付けするのはどうかと思う。たとえば三大○○といってラック付けすることがよく行われる。大抵はランク付けの対象物が変化できなく、かつ評価はわれわれの主観で収めておけばよいものが多い。 たとえば三大夜景といっても見る人によって感じ方が違うから、三大と選ばれたことにそれほど意味は無い。人が違えば別の夜景が一番いいというであろう。それでいいのである。自分の選んだ夜景が三大に選ばれていないから自分の見る目がないと卑下することはない。選ばれなかった都市が電球を増やして選ばれるように努力するとしたらこれも馬鹿げている。個人が勝手に楽しめばいいのであって、はじめから三大夜景なんていうのが下らない。三大夜景と誰かが言うのは勝手であるが、公的機関が言うべきではない。選ばれたところが宣伝に使うのが関の山である。 世界遺産もその類ではないか。遺産に指名されなくても保全すべきは保全すべきである。指定されたから保全するのではない。富士山を世界遺産に指定する運動があるが、指定されようがされまいが富士山は富士山である。富士山周辺のごみ散乱やし尿の不始末が指定を拒んでいるらしいが、そのようなことは世界遺産であろうがなかろうが改善すべきである。綺麗にした後にユネスコのほうから指定させてくださいといってくるなら、指定させてやればいい。 世界の有名の遺産を見ても、指定されなくても価値があるもは価値があるのである。指定されなかったら価値が無いものははじめから価値が無いのである。指定されて維持管理に公的な資金が流れ易くなり、観光宣伝に利用できるという本来の価値とは別の評価は得られるが、本来の価値は普遍のはずである。とは言っても自分で評価できずに他人の評価を本来の価値と捉える人は多い。だからこそランキングが有効なのであろう。庶民が使っているルソンの壷もルソン助左衛門が持ち帰ってごまかせば、かの秀吉も誤魔化されていっぺんに価値の高いものになった。千利休が良い茶器と言えば良くなった。書画骨董、絵画、芸術などでそのような例がよく見られる。 現代では評論家といわれる人々が価値を決めている。だから時代によって価値が変わることがある。対象物は何も変わらないのに。小生自身、モナリザの絵がなぜ世界トップの絵か分からない。世間がそう言っているからそのように見て、いい絵だと自分に言い聞かせているだけである。最近はマスコミやランキングが評論家的価値授与機構になっている。 われわれは他人に惑わされずに自分自身の評価基準を作り、それを基に世の中を楽しめばいいのである。ミシュランなんかに店にランク付けしてもらわなくてもいい。名水百選も下らない。自分がいいと思えばそれでいい。景色も自分がいいと思えば他人がとやかく言うことはない。長距離列車に乗って何の変哲も無い風景を見ながら、あの家に人が住んでいてそれなりの人生を送っているなとか、歩いている人を見てその人の息使いを風景の中に溶け込ませると、何処へ行ってもそれなりの感動が得られる。これは年を取った証拠かもしれないが。 ランク付けされたものに押されて、あっちの景色を見に行ったり、こっちのレストランに食べに行ったりするほうがラクかもしれないが、元来へそ曲がりであるので、自分の価値判断でないと満足しない。カレー料理はきれいな店がたくさんあるが、大阪の船場商店街の一号館よりの入り口近くにある小さい店が一番美味いと思っている。客の半分はインド人である。↑ページトップ 080107 滋賀散策(7) 近江大鳥橋と伊賀上野 信楽に行く途中に、新名神高速道路に架かる大きな橋に出会った。近江大鳥橋と言う。鶴が背伸びして翼を広げて飛翔する姿をモチーフにしたデザインとのことであるが、まさにその通りである。山岳地帯の曲がりくねった道を走って行くと突然現れる。大変きれいな橋である。橋長495m(上り)、555m(下り)のエクストラドーズド橋(詳細は省く、針金で釣り上げたような形のもの)で、琵琶湖の南端から約10qの処にある。金勝山(こんぜんやま)トンネルの西側に位置している。金勝山には金勝寺があり、桜並木、白糸の滝などがル自然豊かな処である。 この橋のデザインがやり過ぎという批判もあると聞く。小生は、このコラム「公共施設に美を」で述べたごとく、公共施設だからこそデザインをしっかりと考えて周りの環境に見合った奇麗なデザインを取り入れて人々に潤いを与え、かつ感性を育てるのに役立つようにすべきものと思っている。橋の支柱は下から見上げると聳え立っているので迫力があるが、この付近は大戸川(だいどがわ)ダムになり水が湛えられるから、支柱の下部は見られなくなる。見上げる角度は狭くなるが、水と一体化した姿もまた趣のある風景を醸し出すことであろう。その時も来て自分の目で確かめてみたい。このダムは建設についていろいろの経緯のあるところだが、詳しい事情を知らないからコメントは控えたい。ダム建設の一般論については機会があれば述べてみたい。 信楽は県境に位置している。ちょっと足を延ばして伊賀上野(伊賀市)へ城を見に行った。市内に入った瞬間に城下町の落ち着きを感じた。城について、現在では「おいらの町」のシンボルとして、また観光の中心として誇りにしているが、小生は今まで城は、、住民を痛みつけた権威の象徴で、住民はどちらかといえば避けて通るような存在ではなかったかと想像していた。しかし、上野城が見えたあたりからその考えが変わって行った。街が城と一体になって落ち着いた雰囲気がなんとも言えなかった。「おいらの殿様」でなければこれほどの一体感は出ないだろうと肌で感じた。 上野城は筒井定次が最初の城主だが、家康に追い出されてから、実質的に藤堂高虎が大改修して築いた城である。藤堂高虎は近江の出身で浅井長政など多くの主君に仕えたのち豊臣秀次、秀吉に仕えて最後は徳川家康に仕えて高く評価された。加藤清正と同様に城作りの才能があり、多くの城を作った。両者の作る城にはともに石垣に特徴があり、清正が曲線的な石垣を特徴とするのに反し、高虎は直線的石垣である。 熊本城の石垣の曲線美は美しいが、上野城の高虎が作った石垣も堅守の趣がよく出ていて良い。高虎は上野に来る前には伊与(愛媛県)の今治城の城主であったが、小生は今治市水道局の膜濾過装置選定の委員会(委員長は前会長の中西弘先生)に参加し、時間を見て今治城を見学した。城の規模と美しさは上野城のほうがいい。石垣はわが国最高の高さとのことであり、高虎の制作構図の基本がわかるようであった。 城の横に上野西小学校と上野高等学校の校舎があった。両方ともすごく特徴的な建物で、コンクリート張りののっぺりとした校舎ではなく、城下町としての街の雰囲気を一段と高めている校舎であり、気に入った。機会があれば中にも入ってみたい。すでに述べたように、多くの人が行き交う所の建造物は趣のあるものであることが望ましい。この地は芭蕉生誕の地と日本三大敵討ちの場所である「鍵屋の辻」で知られている。もっとも荒木又右衛門は今の若者は知らない。今回は時間がなくてそれらの場所は訪れなかった。それにしても地方の城下町はいい。↑ページトップ 080106 初夢 今年の初夢は、このところの地球環境問題に悩まされていることを反映するものであった。地球上の石油や石炭などの化石燃料がすべて使い果たされたら、地球はどれぐらい温暖化するのだろう。空気中の二酸化炭素濃度は化石燃料の原材料が出来た古生代(5〜2.5億年前)における濃度に戻るのか。われわれがちょうどその頃の時代にタイムスリップするのか。もちろんそれまでの文明の遺産とそれまでの熱収支はそのまま引きずって行くことになるが。その頃の濃度は17〜18%といわれる。その程度の濃度では相当気温は高かった筈であるが、その時代にも生物はいた。だからこそ緑色植物は繁茂できた。その緑色植物が光合成作用で空中の二酸化炭素を吸収して、地球の温度が下がるとともに動物の変遷の過程も変わってきた。水中の二酸化炭素吸収量は今より多かったはずであるから、空気中の二酸化炭素が減るに従って水中の濃度も減った。それとは反対に現在の二酸化炭素の排出量が増えれば一部は水が吸収する。そうすれば水生植物の増殖が盛んになる。二酸化炭素濃度の増減と気温の変動が生物相に与える影響がまだよく分からない。ここらあたりの研究はどれぐらい進んでいるのだろうか。それでは二酸化炭素の排出は温暖化をもたらし、さらには地球環境が破壊されるという筋書きがはっきりしない。生物や生態影響をもっと煮詰めなければ、温暖化の影響を単純に二酸化塩素の排出と結びつけ、生物が滅びるが如くに脅しているのではないかといったところで目が覚めた。 小生は学生の頃に「古生物学」に興味を持ったことがある。その頃自分で調べた範囲では、環境変化と連動した詳しい成果には出会っていなかったが、何十年の間に相当進んだと思われる。しかし、今地球温暖化が盛んに言われている割にはその辺の成果が聞こえてこない。自分の不勉強のためかもしれないから、これから少し注意して見聞を広めたいと思っている。 若い頃の古生物学から離れていったのは、古いことを調べて何になると懐疑的になったからである。その頃はちょうど生化学が脚光を浴び始めた頃で、DNAと遺伝子の関係、蛋白合成とRNAの関係、TCA回路のダイナミズム、セントジョルジの筋肉収縮機構など、高等学校の教科書ではまだ学ばなかった生物学の新しい展開に、古いことへの関心が削がれていった。要するに新しい展開やすぐ役に立つかどうかということに評価基準を置いていて、古いことを調べる価値が何処にあるかと懐疑的になってしまった。考古学がなぜ必要かとまで思ってしまった。しかし、現在は過去の流れの行き先であり、学び取らなければならないことが多い。政治の世界で過去の持つ意味が軽んぜられるのに同調していては駄目である。環境を教える側も学ぶ側ももう少し過去を振り返ったほうがよい。そうしないと、地球温暖化という言葉で単純に踊らされて現状から脱出することは出来ない。↑ページトップ 080104 1年経った 12月27日に帰省して新横浜のホームに立った。一年前は娘に出迎えてもらい辛うじて家に辿り着くことができた。新幹線もめったに乗ったことのないグリーン席に乗った。1年前、環境技術支援センターの講義聴講中に痛み始めた股関節が夜には歩けないほどの痛みになり、結局2週間ほどの生まれて初めての入院となった。検査中には「殺してくれ」と何度も叫ぶほどであり、夜中にトイレに行くときは歯を食いしばるほどの痛みをこらえて行った。採尿瓶は、採尿の格好が出来なくて利用できなかった。痛みを堪えたトイレ行きが夜中に数回あった。ベッドに戻っても痛くて寝ることが出来ず、床に足を付けベッドに伏せて唸っていた。痛み止めの注射を打っても効かないので看護婦も如何ともしがたく朝の医師の回診を待つほか仕方なかった。医師が来ても結果は同じである。数箇所の診療科に回されて、最終的にさる医師の診断による判断で前立腺ガンが相当悪いとわかり、そのための応急手当の結果徐々に痛みが低下し、何とか杖をついて歩けるようになった頃退院した。一時はもう人生終わりと思った。なぜ人間は二本足で歩けるのだろうと歩く人をうらやましく思った。11月下旬から講義は出来なくなり全部代わってもらった。このような状態が一年前にあったと懐かしく(?)思う。なぜそうなったかは今でも分からない。前立腺が悪くても骨にまったく異常がないのにすごい痛みが出て、前立腺の治療とともに痛みが取れ、その後痛みが出ていないという経験は主治医にもないとのことである。結果的に前立腺が悪いことが分かり、その治療を続けている。主治医が遠い病院に転勤したが、分からない痛みを結果的に除いてくれたことに感謝し、追っかけをして、今は遠い病院に通院している。 今常用しているホルモン剤の結果、副作用として二つあげることができる。悪いほうは、力がなくなったことである。歩いて急に立ち止まるときにちょっと平衡感覚を失うように傾いたり、開けにくい瓶の蓋を開けるとき、こんなのは簡単と思っていたのがなかなか開けることができなくなった。先日暴力団員風の若者が、地下鉄で3人分の席を股を広げて座っていた。教職にいるものは不正を見逃すべきでないとちょっと注意をすべきであったが、力がないのを自覚していたので黙っていた。力があれば、刃物ぐらい突きつけられてもかわす自身はある。ピストルは持っていないのは服装で分かっていた。黙らざるを得なかったのは悔しかった。また、公園にあった鉄棒で子供が逆上がりをしていたので、いい格好しようと思って逆上がりを試みた。まったく上がらなかった。ショックだった。何度も試みたが腕が身体を持ち上げてくれない。ついに子供達に「おじさん無理しなくていいよ」と言われてしまった。最近こんなショックなことはなかった。若い頃は懸垂なら50回以上できたし、子供が幼稚園の頃は、子供を足に乗せてブランコ代わりに揺らしたり、子供を乗せて懸垂を20回ぐらいは出来た。大車輪が出来たから懸垂なんか鉄棒の業なんて思ったことがなかった。それがまったく出来なかったのだ。算数で言えば一桁の足し算が出来なかったようなものだ。 そのショックは今でも続いている。良い副作用は頭に毛が生えてきたことである。これは皆が認めている。いままでゴゲインやリアップその他の養毛剤を使用しても全然効果がないのに、いつかは毛が生えてくるかもしれないと長年ふりかけていた。ところが前立腺の治療を始めたらいっぺんに、禿げた頭に毛が生えてきた。頭の毛なんて気にする必要もないが、無いよりあったほうがいいと思っていた。主治医に伝えたら、皆がそうなるわけでもないが、生えてくる人もいるということで、小生の場合は効果覿面の範疇に入るとのことである。一旦はもう前立腺の摘出手術をする意味がない段階であると言われて、寿命の話も出たが、今は電子線治療でガン細胞を取り除くことが意味のある状態にあるかを目下検討中というぐらいにいい方向に向かっている。もし治療変更で現在の薬の服用がなくなればまた禿げてくるかもしれない。それでも今の薬の併用を望んで毛が生えることを期待すべきか、その薬を止めて力の復活を取るかの判断は難しい。↑ページトップ 080103 滋賀散策(6) 信楽 滋賀県には日本六古窯のひとつと言われる信楽という有名な焼き物の街がある。数十年前、小生の国立公衆衛生院(現国立保健医療科学院)時代にPCB問題がクローズアップされた。まだ国立公害研究所が設立されておらず公衆衛生院が環境汚染を取り扱っていた時代である。 全国の水道水源でPCBが検出された地域の現場調査のため、相澤貴子さん(現横浜市顧問)、厚生省の山本課長らと呉市へ出掛けた帰りに滋賀県を訪れた。呉市には熊谷課長補佐が一緒であった。イギリス留学帰りで慶応医学部出身の彼は、朝食を食べる時のスタイルがいかにもあか抜けていて、相澤さんと洋行帰りの慶応ボーイはわれわれ貧民とは違うなとささやきあったものである。 滋賀県は琵琶湖のPCB汚染の関係で行ったのであるが、空いた時間を使って信楽を訪れた。それまではまだ陶器と磁器の区別も知らなかったので、陶磁器の産地ヘ足を踏み入れることはなかった。ただ大学生の頃、父親に連れられて常滑競艇へ数回行った時、常滑焼きがあることと常滑が土管の主要産地であることを知った。その後、小生が上下水道に関係するようになったが、ときどき土管が話題になったり、現物を見るような場合はいつもその頃が思い出されて懐かしく思った。もともと大学受験の時、名古屋工大の窯業学科を第二志望としていた。第一志望が受かったので受験はしなかったが、いまでも轆轤で土を弄くっていた方が良かったかなと昔を偲ぶことがある。大学時代は名古屋駅近くのノリタケ(日本陶器)のすぐ横に家があった(今は兄が住んでいる)。ノリタケには高い煙突が数本並んでいて名古屋駅近くの一つの風景となっていたが、今は名物煙突はない。もし第二志望に進んでいたら、ノリタケはもっとも就職したい会社になっていただろう。 さて話を戻すと、信楽は「狸」の焼き物で有名である。昭和天皇が行幸された時、狸を並べてお出迎えしたら、天皇が思わずにっこりされたということで、それ以来一層狸が信楽の顔となったということをその時聞いた。その時は陶器の店を見てもそれほど興味がなかったが、賤ヶ岳へ行った約2ヶ月後に信楽を訪れた時は、いろいろな陶器を見るのが楽しかった。長い年月の間に、外国を含めて何十カ所かの陶磁器の生産地を見たためか、製品を見るのが楽しくなってきた。今までに一番訪れた窯元は九谷焼と益子焼きである。特別に興味があったというのではなく、仕事や遊びの序でに立ち寄る機会が多かったからである。信楽の街で狸が各店に勢揃いしている光景は、昭和天皇ではないけれど思わず微笑んでしまう。信楽焼のうちでも素朴で濡れたような表情の「焦げ」焼き物が好きである。ただ資金不足だし買っても置く場所がないので、ただ眼の保養をしただけである。↑ページトップ 080101楽しく飲む クリスマス・イブの前日、教え子の二人と一杯やった。岐阜県庁保健環境研究所の南部主任研究員と立命館大学中島教授である。いつも三人が参加するのを楽しみにしていたある団体の忘年会がなくなったので、その埋め合わせにやることになった。儀礼的でなく積極的にしゃべりあいたい相手はそんなにいない。 職場の懇親会はいつも顔を合わせている人達の会合だから、忘年会や新年会はけじめとしてやるもので、近場でやる時は嫌でも出席して時間の経過を待つといった人が多いのではないだろうか。だから宿泊を伴う職場旅行は、白けムードの若者には不参加者が多い。最近は少し職場の旅行も回復傾向にあるとのことであるが、その原因が分かる立場にいないので何とも言えないが、多分昔のようなどんちゃん騒ぎはなくなり、泊まる旅館のカラオケ設備が充実してきたことなど、以前とは様変わりしてきたのかも知れない。職場の懇親会はいずれにせよ多少とも義務感が伴うので、疲れを感じ、楽しさも半分ぐらいである。 外部委員会や団体の催す懇親会や委員会の帰りに有志が集まる飲み会は、義務感もなく情報収集にも役立つので積極的に参加しているが、顔見知りが少なかったり波長が合うかどうかわからない人が多い時には、苦痛な場合もあるので、馴染みがそれほどもない学会などの懇親会には、参加する気力は萎える。 国際関係の集まりでは、英語で一杯やるのは苦手であるが、普通では得られない経験もすることができるので、できる限れは参加していた。最高であったのはパリで行われたIWA発表会の晩餐会である。あのルーブル美術館で貸し切りで行われたのである。同じテーブルのフランス人とも楽しく会話ができたし、丁度サッカーの欧州選手権が行われていてジダンが活躍したので、それを肴にすることができた。またモナリザの微笑を堪能できた。すぐ横にいた美術館案内人がこちらの絵の方がいいとさかんに別の似たような絵を褒めていたが、どちらがいいかわからなかった。 なんと言っても、職場や外部委員会などとは関係なく、自発的に数人で集まって酒を酌み交わすのが一番いい。たまたま何かの知りあった者同士、趣味のサークル、同級生などなどいろいろとしゃべり合う相手を見つける集まりはあるが、集まる相手が地理的に近くないとそのような関係はできにくい。小生の場合、何の柵もなく飲める相手は、高校時代の友は今は無く、大学時代の親友は距離的に離れた時間が長くなり今は疎遠になっている。小学校時代の友も距離的に遠くなったが、数年に一回開かれる同窓会は楽しみである。 最初に述べた上記の二人とは師弟の関係となって30年以上も経つが、出会った頃からよくしゃべるようになって今まで続いている。師弟という上下関係よりも気が合うという関係といってよい。集まった場所は日本橋のワシントンホテルの地下にある「ざうお」で、魚が釣れるところである。シマアジを釣って刺身と塩焼きににしてもらって食べた。釣った魚は割安になるが、大きいせいか2000円/匹以上する。 魚は大きなドーナツ型の水槽に飼っていたけれど、海水はどこから持って来てどうしているか気になり作業をしている人に聞いたが、「海から持って来る」という返事しか返ってこなかった。検査をしていると誤解されるのも嫌だったから、それ以上追及しなかった。東京の池袋のサンシャインビルに水族館があるが、そこの海水管理については詳しく伺ったことがあるので、それに似たようなことをしているのであろう。 そこを出てから道頓堀の「ぼてじゅう」でお好み焼きを食べた。久しぶりに食べたせいか大変旨く感じた。3連休のためか道頓堀も心斎橋筋もすごく混んでいた。誰とはなしに「地方都市では正月でもこんなに混むむところはない。しかし、ここでは美人にあまり出会わない」と言っていた。小生は来阪して長くなったので審美眼が衰えたのかあまりそのような感じは持っていないが、数十年前東京で勤めていた頃、大阪から来た学生(といっても水道局の職員だが)が同様なことを言っていたことを思い出した。来年の夏にまた飲もうということで別れた。↑ページトップ |