1.なにわの川
東横堀・道頓堀川 |
連載にあたって
日本水環境学会関西支部川部会は、その活動の一環として関西の水辺を散歩しながら、河川の持つ3つの役割(治水、利水、環境)、中でも環境に目を向けながら、とくに水辺環境として人々の心を癒し、和ませる役割を果たしているか、人々・住民はそれに自ら参加しているか、あるいは、そのためにその河川の現状で不足しているものは技術的に、行政的に何か、等々の視点からの観察を行っています。
本連載は、その内容を「環境技術」誌の読者の皆様に紹介するものです。その内容として、歩いた道順を記した地図を必ず入れ、写真も多く入れながら、全体として楽しく読んで頂け、読者の皆様に自分も一度歩いてみようと感じて頂ければ幸いです。あるいは、自ら川歩きを案内していただける方はご一報ください。
福永 勲(第1回執筆者)
1.東横堀・道頓堀川のプロフィール
大阪市内の河川は、北の神崎川、南の大和川にはさまれた大阪市域の淀川水系、寝屋川水系を中心として流れている。大阪市の水辺環境整備は、「新・水の都大阪グランドデザイン」(1995.)や「水環境計画」(1999.図-1)に基づいて、水辺空間、親水空間の創出を図って行われている。
今回ウォッチングした東横堀・道頓堀川は、大阪市内でももっとも繁華な街を流れて人々に親しまれている。とくに、昨年は、プロ野球チーム「阪神」の優勝に歓喜した人々が川に飛び込む騒動がテレビに放映され、良くも悪くも全国に名を知られるようになった河川である。
東横堀川は、その昔太閤秀吉が大阪城の外堀として開削したもる。その他にも、東に猫間川、南に空堀(冬の陣で埋立)、北に淀川・大和川があった。道頓堀川は、江戸時代船場等の発達と合わせて、安井道頓が開削したものである。
両河川の水質改善のために東横堀川入り口と道頓堀川出口に水門が設置されている。大川からの清澄水を滞留させ、寝屋川の汚濁水は堂島川・土佐堀川を流下させるようにしている(以前は堂島川にも設置され、この方式は昭和10年頃からのものである)。
しかし、歴史的には水質は非常に清浄化され、BODは年平均値2.3〜3.3mg/LとB類型をほぼ達成しているが、大腸菌群数が約104MPN/100mL検出され、遊泳には適さない、とされている。
現在、大阪市は新「水の都・大阪」を創造するためにと、道頓堀川下流部と東横堀川に水門を建設して、水面を一定に保ち、同時に防潮機能も備えるように図られている。また、道頓堀川の一部では、両岸に遊歩道を設け、水辺の歩行者空間として、水との距離を1m程にまで近づけて整備しようと工事を進めている。市内随一の繁華街だけに、水質も含めて、親水性など一層のアメニティーが期待される。
2 東横堀川緑地の探索
北浜から東横堀川への入り口の葭屋(よしや)橋を渡る。まず、大阪府が整備した「ふれあいの岸辺」に立って、大川(旧淀川)と寝屋川が合流し、続いて中之島剣先公園を境に、今度は堂島川と土佐堀川に分かれるあたりを観察した。土佐堀川は葭屋橋をくぐって東横堀川へと流れと川の名を変える。流れが合流し分流するに連れ、川も姿を変え名を変える。
「ふれあいの岸辺」から西に、たもとでライオンが見守る難波橋、東に一つの名前で橋が左右に分かれている天神橋、目の前には、葭屋橋から東横堀川が始まる様子が見える。水上バスが時折行き交う様子は大阪の風物詩となっている。また、ここには中之島公園という大阪市でも指折りの水辺環境があり、明治の建物として名高い中央公会堂を始め、府立図書館など由緒ある建物群が遙かにたたずんでいるのが眺められる(写真1)。
ほとんどの護岸が鋼矢板である大阪市内の岸辺の中でも、中之島の剣崎公園はコンクリートの傾斜護岸で最も水に近く、垣で隔てられてはいるが行こうと思えば直接水に親しむことができる近さである。ただ、これらを遮るのが、阪神高速道路環状線で、景観設計とは相容れない。この阪神高速道路は、堂島川、土佐堀川を横切り、川の真上をふさぐようにして東横堀川の最後の橋である上大和橋まで無粋に川の中に橋脚を突き立てながら走っている。(以降は本誌にあります)
「環境技術」