「環境技術」10月号・特集のねらい
「景観保全と良好な景観づくり」
若井 郁次郎
(大阪産業大学/本誌編集委員)
人がものを見、その全体像について美や文化を意識し感動したとき、景観が始まる。この意味で景観は生活に密着しているきわめて人間的な分野であるが、これまで景観への取り組みが法的に規制された特定の地域や地区での限定的景観保全であったことから、国内各地に継承され、身近に親しまれてきた自然景観や都市景観がしだいに損なわれてきた。このため観光地としての魅力やコミュニティの景観形成力の低下が著しくなり、人びとの美的感性を貧しくさせ、経済的にめぐまれても真に豊かでうるおいのある文化生活にほど遠いと実感しているのが多数の国民の心情であろう。その景観についてやっと中央政府が動き出し、平成15年7月、国土交通省が取りまとめた「美しい国づくり政策大綱」を受け、この6月に景観法などのいわゆる景観緑三法が制定されることになった。
わが国の景観事情について振り返ってみると、かつて浮世絵や錦絵に描かれたように、たくさんのすばらしい景色や景観が自然や生活のなかにとけこむ形であり、幕末や明治初期に訪れた多くの外国人をして絶賛せしめたほどであった。たとえば、イギリス人旅行家のイサベラ・バードは、明治11年に来日し国内を旅して当時の日本の美しい景色を繊細に描写した。なぜ、かくも美しくあった景色や景観が、われわれの目の前から消え、あるいは見苦しくなったのか。また、まちやむらにあったアイデンティティとしての原風景は、なぜ少なくなってしまったのか。
これらの結果をまねいた大きな要因としては、まぶしく見え、あこがれた欧米諸国をめざし、開国後の殖産興業や富国強兵、戦後の経済復興のための国づくりを一途に進めてきたところにあるといえよう。特に、高度経済成長のリズムに乗って、全国のすみずみまで都市化と工業化が急速に進められる過程において無秩序な土地開発や自然環境の破壊が行われ、また、既成の都市や農山漁村でも効率性追求のため前近代的な建物や空間が取り壊されることになった。具体的には、輸送の利便を高める幹線道路網が全国縦横に張り巡らされ、治水や利水に重きをおいた河川整備が進められることになった。また、都市では土地の高効率化のため立体的利用が行われ、農村などでは田園や里山が産業団地に変貌することになった。このような開発事例で共通しているのは、「用強美」の三要素のなかの用や強に重点がおかれ、美としての景観についての考慮や配慮が少なかったといえよう。
この結果、景色や景観の無秩序化がおこり、混乱をきたしているのが現状である。もしこのまま放置されれば、わが国の景色や景観は、さらに壊滅的な道をたどることになり、古来の変化に富む自然美や継承されてきた風雅な人工美が消滅するおそれが十分に予想される。この流れを逆転させることができれば、良好な景色や景観が保たれるだけでなく、温故知新によるすぐれた景色の再生や景観づくりの機運の盛り上がりが期待される。
景観法の制定を機会に、これからは景観の保全だけでなく景観を創造していくという積極的な姿勢が国、地方公共団体、事業者、住民に必要とされ、一丸となって美しく風格のある国土づくりを行い、うるおいのある豊かな文化生活を享受できるようにすることによってこそはじめて、次世代へ継承できる持続可能な風土が醸成されることになろう。そのためには、わが国の自然、歴史、文化などの固有の特性を十二分に発揮できる良好な景観づくりの基本的な考え方や、都市計画や農産漁村計画における景観哲学が確立されることに加え、日々現地において実践的に良好な景観づくりに取り組むことも重要になる。ここでは良好な景観について再考していただき、一人ひとりがまちやむらの身近な生活空間から雄大な自然空間まで美を追求し配慮する心に芽生え、文化豊かな国づくりへ歩みだすことを祈念し、この特集を組んだしだいである。最後に、ご多忙にもかかわらず執筆を快諾していただきました諸氏に深くお礼を申しあげます。
8月号