ソウル清渓川高架道路を元の川に戻す【2】

                                        島津康男
高架道路を撤去する
 

  
                                           


                                              


 
 工事中の騒音は道路に面した店で73dBになるが、車と人声を考えれば著しいとは思えない。
 とにかく、人と車の溢れた5.8kmを一気にひっくり返そうというのでから、恐ろしい話だ。
 東大門あたりは再開発されて、衣料問屋街の一部は20階の高層ビルに変わり、見た目は若者むけのファッション街になったが、その横の古いビルに入ると間口1間の店の集まりで、店のおばさんが立て膝姿で商品の隙間でテレビを見ている。一寸数えたら、1フロアに270軒あった。
 
 表記の記事をアセスメント情報に載せたのは2003年9月8日である。これはソウルの旧市街の中心を東西に貫く5.8kmの4車線高架道路(写真1)を撤去し、その後をもとの川に戻すという画期的な事業で、昨年就任した市長の公約だった。
 7月に起工式を行い、2年後の2005年8月に完成する予定である。その様子を連続的にウォッチしようと8月に続いて11月19日、12月11日に現場を訪れた。


(写真左 撤去前の高架道路)
  現場に行くと8月にはまだ残っていた高架道路の橋脚が跡形もなく消え、地表を覆っている蓋をはがして中を掘っている。区間ごとに工事をするのでなく一気に橋脚と路面を取ってしまったのだ (写真左 工事現場)
  




 

■ ソウルってどんな都市

 
 ここで、
ソウルの都市構造を説明しておこう。それは、筆では表現しにくい複雑なものであるが、まず.旧市域は北岳山と南山に挟まれた盆地で、北岳山の麓に宮殿があり、街全体は城壁に囲まれ(今は一部残っているだけ)、東に東大門、西に西大門、南に南大門があって市域の境界になっている。もともと清渓川は北岳山に水源を持ち、宮殿を取り巻くように流れて東に向きを変えていた。東大門と西大門との距離は7km程度だから、清渓川道路はほぼ旧市域を東西に貫いているわけだ。

  16世紀までこの通りは清渓川で、その名の通りきれいな川として市民の憩いの場であった。つまり、方向こそ90度違うが、京都の鴨川に相当していた。しかし、16世紀の終わりの壬辰倭乱(秀吉の侵略)後人口が急激に増え、ハングル文字を定めた世宗王はこの川を下水路とすることにした。そこで、清渓川はその名に反して数百年間街の中心のドブ川になり、日本統治時代に蓋をして道路にすることを考えたが、財政問題から完成せず、その実現は朝鮮戦争の後になった。戦後地方からの貧民がここに集まって、河原がスラム街になったこともあって、川底から地表まで6mの空間を残したまま蓋をしさらに幅員16mの高架道路になったのは1971年である。撤去直前の交通量は日に16万8000台だった。

 1980年代になって、これまで旧市域の外側であった漢江の南(江南とよぶ)に市域が広まった。旧市街の北側は国境に近く住むのは危ないこと、朝鮮戦争の時に橋を爆破して多数の市民が南に逃げられなくなったことから、江南の発展は必然だったろう。旧市域から国境までは35kmである。
 
 現在の大ソウルは
中心を幅1000mの漢江が東から西に流れ、その右岸すなわち江北側が旧市域、左岸すなわち江南側が新市域で、1988年のオリンピック以後、新市域の方がずっと大きくなった。
 
 オリンピック会場
のある江南のサムシル(蚕室)は、その名の通り桑畑で、私がはじめて韓国とを関わりをもった 1970年代にはまだ住宅がまばらだった。
 その漢江には今や20本の橋がかかっている。漢江は東から西に流れ、清渓川は逆に東に流れてもともとは南に曲がって漢江に流入していた。江南の南には又冠岳山があるので、漢江を軸にして旧市域と新市域とを含めた盆地ともいえる。
 
 つまり大ソウル市は
それ自身が大盆地であり、大盆地の鴨川が漢江に相当する。このように、ソウルは二重構造の盆地になっているのが、ソウル特別市の人口は1100万、周辺を含めた首都圏は2200万で、韓国の全人口が4500万なのを考えると、正に一極集中だ。 
 
■ 広報センターを訪問する
 
 1994年に
漢江にかかる聖水大橋が崩落する事故があり、これを期に古い建造物の点検が行なわれた結果、清渓川高架道路は川跡の泥で基盤が腐食しており、補強の工費がかかりすぎることから、撤去に至ったものである。これは1992年の選挙で当選した市長の第一の公約だった。撤去の費用は、川の復元まで含めて日本円で355億円、韓国の工費の安さからみて、実質の工事費は日本でなら1000億円程度と思われるが、建設に比べて撤去の経費が安いことは確かだ。
 
 清渓川道路の撤去は
ソウル特別市の事業だが、撤去現場の西端には三階建ての市の広報センター)があり、女性を中心にした20人ほどのボランティアが運営している。
 こちらの顔を見ると、日本語のできる人がさっと出て来るというサービスだった。中には、数百年前のきれいな川の時代から、ドブ川、そしてスラム時代とそれぞれ数m大の模型が並び、さらに工事前、工事中、そして完成後の周辺再開発計画までが模型でわかるようになっている。
 復元する川の幅は12から18m、水の深さは50cm、岸を遊歩道にするというから、川というよりもビオトープという感じであるが、5.8kmの長さのビオトープは珍しい。そこは新しい風の道ともなり、ヒートアイランド効果を減らすのにも役立つだろう。はじめはサクラを植えるとしていたが、生育しにくいとの専門家の意見で、土地にあったヒトツバタゴになった。(日本での俗名はナンジャモンジャで、雪が積もったように白い花が咲く)。「流水はどう調達するのか」と聞いたら、「雨水と地下鉄からの漏水だ」との答えが返ってきた。「それで足りるのか」と改めて聞くと、「足りなければ漢江からポンプアップして導水する」という。
 事業者の好意で、12月11日に地下の工事現場へ入らせてもらったが、ぬかるみに足をとられるだけでなく、ものすごい臭気に閉口した。今は地上から川跡まで6mある側壁の底に沿って湧水を流す側溝を作り、川跡の泥を取り除く作業の準備をしている。深さ3mの泥を取り除くのは、まるで400年のゴミをさらうようなもので、どんなものが出てくるかの歴史博物館だと大きな関心が寄せられている。
 
 市が道路撤去について
市民意見を集めた結果によると72%が賛成で、反対意見としては、これまでの歩道を半分にするというので、地元の露天商は商売に差し支えるとし、広域の市民は交通渋滞をあげている。
 
 もっとも、
前にみたようにソウル市では漢江にかかる橋に象徴される南北方向の交通が渋滞の最大ネックであり、旧市域での東西交通についてはすぐ隣りに鐘路・乙支の2つの大きな道路があるし、清渓川高架道路がなくなっても地上道路は残るが、これらは今でも渋滞がひどく、ノンストップの清渓川高架道路がなくなるとやはり問題が残るだろう。それにしても、ソウルが環境都市の一歩を踏み出した意義は大きい。
 
 清渓川復元事業環境影響評価書は
396ページあり、着工直前の2003年7月に出ている。後始末のアセスとしての特色を期待したが、廃材処分については書いていてない。ソウル市に問い合わせた所、鉄材4.3万トン、コンクリート49.5万トン、アスファルト6.2万トンの廃棄物のうち95%を再利用し、9万トンを現場で、コンクリートのうち44万トンを廃棄物業者が砂と小石に分離して、よそで利用することになっている。

■ ソウルは面白い 

 ソウルでの現在のアセス対象としては、その他環状道路があり、冠岳山トンネルの換気塔には阪奈トンネルに使用されているEAP(土壌に排気ガスを吸収させる装置)導入の予定である。
 
 もう一つ面白いのは
、漢江と旧市域との間にある1kmの長さの南山トンネルで、一人乗りだと通行料2000ウオン(200円、ちなみに地下鉄の料金は均一で700ウオンなのでこの通行料は結構高い)、二人以上乗っていると無料という面白いシステムだ。環境問題のためという。最初は奇数ナンバーの日、偶数ナンバーの日と決めて車の数を減らすことにしたが、車を2台もって対抗する人が多くなってこのシステムは止めたという。
 
 高架道路の撤去といい、通行料金といい
、韓国の都市計画はいろいろ思い切ったことをやっていて面白い。日本にすぐ導入できるかどうかは別にして、一度視察に行かれてはどうだろうか。なお、韓国のアセスでは、環境・土地利用・災害を同等に扱う方式に変えようとしている。これは戦略アセスの具体的方法といえる。
 
 逆に、ソウル駅、韓国銀行、新世界デパートは
それぞれ東京駅、日本銀行、日本橋三越のそっくりさんで、昔の京城府庁だったソウル市庁を含め今でも使っている。
 
 ちなみにソウル駅は私と同じ年齢だ。
清渓川道路や聖水大橋、そして崩落した三豊デパートといった最近の建造物に比べ、大変長持ちだ。これらの古い建物も見られてはどうか。

 記念に橋脚を2本か3本を残すという運動もあり、一本だけが残された(写真左 記念橋脚)
 4車線の高架道路の左右には2車線ずつの地上道路があり、市庁の近くからはじまる西端がオフィス街、東の4kmが問屋街で、東大門をすぎると住宅アパート街になる。
 問屋街は電気製品、衣料品、そして珍しいのは古本とブロックに分かれてそれぞれ1kmにわたり、歩道一杯に商品が積まれ、昔の上野のアメ横や大阪の丼池を100倍にも1000倍にもしたような有様。その上歩道は露店に占領されているので、人は積荷の間をやっと通り抜け、喧嘩しているような商談の声が溢れて、普通の声では話ができない。地上道路は車で一杯、しかもバスが多い
(写真下) 商店街)